2025.10. 22 更新
🎼 日本におけるギター受容史 [明治時代~大正時代]
◆ 年 表
| 年 | 出来事・背景 | 関連人物 | 補足 |
| 室町時代末期 (1549) | フランシスコ・ザビエル来日 | 布教活動と学校設立 | 音楽演奏を含む多くの科目を教える学校設立 |
| 天文19年 (1550) | 宣教師の増加 | 布教活動と学校設立 | オルガン、ビオラ、トランペット、ハープ、リュート演奏 |
| 天正19年 (1591) | 天正遣欧使節- 聚楽第において豊臣秀吉を前に、西洋音楽を演奏する。 | (ジョスカン・デ・プレの曲) | リュート、ビウエラ、リコーダーなど |
| 天文19年 (1854) | ペリー提督の再来航 | ミンストレル・ショー | タンバリン、トライアングル、バイオリン、フルート、バンジョー、ギター演奏 |
| 明治10年(1877) | 平岡 熈が米国より帰国 | 野球、ローラースケート、ギター持ち帰る | |
| 明治32年(1899) | 比留間賢八、再渡欧する | ドイツとイタリアにてギターとマンドリンを研究 | |
| 日露戦争期(1904頃) | 平岡熈がギターを愛好・演奏 | 息子・平岡次郎(後の作曲家)が影響を受け研究を開始 | ミンストレルソングを簡単なメロディーをギター伴奏 |
| 明治38年(1905) | 比留間賢八、再渡欧する | 初のマンドリン オーケストラの指揮者 | ギター最初の教師 |
| 明治末期 (1910-) | 上野美術学校でマンドリン音楽が流行 | ギターが伴奏楽器として必要とされ、学生間で研究が進む | |
| 明治44年 (1911) | イタリア人アドルフォ・サルコリ来日、声楽とギター演奏を披露 | 日本で初めて「ギター音楽らしいもの」が紹介される | 松井竜三主宰、石川俊二・川瀬晃がギター演奏 |
| 明治末期-大正初期 | 美術学校の学生以外にもマンドリン合奏団体が誕生 | 東京マンドリン倶楽部、慶応マンドリン倶楽部などが発足 | |
| 大正4年(1915年) | 関根文三が日本人初のギター独奏を公開 | 演奏曲はサルコリ作「タランテルラ」など | |
| 同時期 | 発表会にてサルコリが招かれ、公開演奏を行う | サルコリ(イタリア人ギタリスト) | |
| 大正4年(1915) | 『オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ』創設 | 翌年より演奏会開始、武井守成が毎回ギター独奏を担当 | |
| 大正5年(1916) | 研究誌『マンドリンとギター』創刊 | 当時唯一のギター・マンドリン言論機関 | |
| 大正10年(1921) | 『オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ』で初の「ギターの夕」開催 | 合奏団内奏者が個人研究を重ねていた証左 | |
| 大正11年(1922) | 大阪で『イル・ドマーニ・マンドリーニ・オルケストラ』がギター演奏会を開催 | 松井竜三主宰、石川俊二・川瀬晃がギター演奏 | |
| 同時期 | ギター独奏は少数で、通俗的な曲が中心 | 演奏曲:フェレール、ブロカ、ビニアス、タルレガ(ラグリマ等) | |
| 同時期 | 武井守成の作品が出版され、各地で演奏され始める | 『野遊び』『タルレガに捧ぐる曲』『軒訪るる秋雨』など | |
| 大正14年(1925) | ギター・マンドリン独奏曲の作品コンクール開催 | 主催:オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ、審査員:武井守成ほか | |
| 大正14年(1925) | 堀清隆の『船唄』が一等に選ばれ出版される | 技術・創作面での進展を示す | |
| 大正14年(1925) | スペイン製ギター(イバニエス)などが一般販売開始 | 価格:22〜150円、国産品(鈴木ギター)は15〜80円 | |
| 大正15年(1926) | 武井守成がギター文献を発行 | 『マンドリン・ギター片影』『マンドリン・ギター及び某其オーケストラ』 | |
| 同年 | 宮田政夫・月村嘉孝による『マンドリン・ギターの夕』開催 | 会場:主婦之友社講堂 |
[参照]:マンドリン・ギター及其オーケストラ[主幹]:武井守成
マンドリン・ギター片影 [主幹]:武井守成
マンドリンとギター [主幹]武井守成
マンドリンギター研究 [主幹]武井守成
ARMONIA [主幹]澤口忠左衛門
『ギターの習い方』小林欽一著 佳生書房